「知事多選県」石川で何が起きたのか

長期県政が当たり前だった石川で、なぜ現職はわずか1期4年で敗れたのか。金沢と能登で分かれた評価、加賀市で起きていた前兆、選挙終盤の判断ミス。盤石だと思われた組織戦の足元で何が崩れていたのか。大接戦の舞台裏を追うと、保守王国の静かな地殻変動まで見えてくる。
五百旗頭幸男 2026.04.04
読者限定

1期4年で知事交代、その衝撃

3月27日、石川県の新知事に山野之義氏が就任した。現職・馳浩氏とのわずか6000票差の大接戦を制した山野氏は、金沢市議を4期15年、金沢市長を3期11年務めた後、前回知事選では馳氏に敗れていた。8期31年の中西陽一氏、7期28年の谷本正憲氏。馳氏が就任する前までの59年間、石川県は2人の知事による長期県政が続いた。知事が1期4年で入れ替わるなど、多くの県民は想像もしていなかっただろう。今回の知事交代劇はそれくらいショッキングな出来事だった。

石川県知事選挙の得票数
山野之義 24万5674票 当選
馳浩   23万9564票
黒梅明     9540票

馳氏が敗れた要因はさまざまだが、主なものとしては三つ考えられる。一点目は、有権者の4割を占める金沢市で山野氏に3万4000票差を付けられたこと。二点目は、保守三分裂となった前回選挙で山野氏に次ぐ三番手で敗れた山田修路氏が山野氏の応援に回ったこと。三点目は、告示後に馳陣営がとったメディア戦略が裏目に出たことだ。

映画『裸のムラ』の一場面 ©石川テレビ放送

映画『裸のムラ』の一場面 ©石川テレビ放送

金沢で現職が伸びなかった理由

一点目の金沢市での得票差については、前回も山野氏が馳氏を2万8000票上回ったが、今回はさらに6000票差を広げた。市長を11年務めた金沢市で山野氏が強いのは当然だが、馳氏が石川1区選出の衆議院議員時代に21年間地盤にしてきたのも金沢市なので、馳氏は決して金沢市で弱いわけではなく、むしろ強い。しかも通常2期目を目指す現職は選挙で圧倒的に有利とされる。知事として人事権や予算編成権を握ることで築いた業界団体とのネットワークは選挙での支援や動員力として機能するからだ。実際、馳氏は県内全19市町の支援と約340団体の推薦を受けた。国政与党の自民党、日本維新の会だけでなく、野党系の県議会会派・未来石川や連合石川からも推薦を得て、盤石の組織態勢に見えた。

馳氏と同じく各政党や連合に推薦願いを出した山野氏が国民民主党の支持しか得られなかったことからも、馳陣営の組織力は圧倒的だった。馳氏の事務所開きで自民党石川県連最高顧問の福村章県議が「こんな選挙は初めてだ。これだけの態勢でやる以上、圧勝しなきゃならん!」と檄を飛ばしたのもうなずける。県内19市町別の得票では、馳氏が山野氏に敗れたのは金沢市のほか、金沢市に隣接する野々市市と白山市だけで16勝3敗と圧倒した。

能登で問われた震災対応の実像

能登半島地震の被災地である能登6市町でも馳氏は強かった。馳氏の得票は3万8000票で山野氏を1万6000票上回った。発災から1年ほどはSNSやインターネットで「能登の復興が遅れているのは知事のせいだ」といった趣旨の批判が多くみられた一方で、能登の被災者は馳知事の震災対応に一定の評価を与えたことになる。

発災当日、東京の自宅にいた馳氏は、翌朝ヘリで上空から被災地を視察したが、実際に足を運んだのは14日目。知事単独ではなく、岸田首相(当時)の視察に同行する形だった。発災直後から被災地で取材をしていた私は、発災5日目に馳氏が能登の被災地ではなく、金沢市に設けられた救援物資の集約施設を視察したことに強い違和感を覚えた。同じ日には「能登への不要不急の移動は控えてください」「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」といった馳氏のSNS発信が拡散し、個人ボランティアの能登入りをためらわせる自粛論が広がる結果となった。発災以降の3カ月間に被災地入りしたボランティアの延べ人数は、全国社会福祉協議会などの集計によると、2011年の東日本大震災が約55万人、2016年の熊本地震が約10万人だったのに対し、能登半島地震は約5万人と圧倒的に少なかった。

石川県が能登半島地震の初動対応を検証した報告書には「知事による積極的な情報発信を実施したが、一度発信した情報の修正に苦慮」した点が記され、改善策として「インパクトの大きい情報発信はその後の変化の見通しも併せて発信」する必要性が示されている。つまり、県として、発災直後に馳知事がおこなったボランティアに関するSNS発信の不備を認め、改善の方向性を示したのだ。

また、ボランティアの受け入れ体制についても、「県も支援される側という意識から、主体的に応援団体の活動調整、被災市町への支援調整、支援者の宿泊場所の調整などの支援を行う意識が欠如し、対応が受け身」「応援団体の活動調整等を行うことができる防災の専門人材が不足」「被災者の生活支援の実績を持つ災害支援NPOなど民間支援団体との連携が不足」などと厳しい言葉が並ぶ。報告書は、県のボランティア受け入れは準備や調整が不十分で、専門性が乏しく、民間との連携も弱いため、改善が必要だと指摘しているのだ。

馳氏には、確かに能登半島地震の初動対応に問題があった。しかし、それを県の報告書で認めたうえで地域防災計画の見直しに反映させた点は評価されるべきだと思う。その後、官邸や自民党とのパイプをいかして復興予算の確保に力を尽くしたことや、震災後に就任した浅野大介副知事が能登に足しげく通って被災者からの信頼を得たことなどは、初動ミスの反省を踏まえての成果とも言える。能登6市町で馳氏の得票が大きく上回ったのは、被災者がそうした一連の対応を冷静に評価していたからではないだろうか。

金沢から見る4年間の馳県政

では、地盤のない能登で圧勝した馳氏が、地盤のある金沢市で勝てなかったのはなぜなのか。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、4499文字あります。

すでに登録された方はこちら

読者限定
フォロワーを3万人に増やしても虚しい理由――「投稿マシーン」になって