裁判資料から解き明かされた 賛否渦巻く映画の衝撃的な”物語”

裁判資料と検証記事をたどると、話題の映画の見え方が劇的に変わってしまう。先日、ある連載記事を読んだことでそんな経験をしました。それは、1万ページに及ぶ裁判資料を紐解くことで、賛否渦巻く映画の土台部分を問い直す丹念な調査報道でした。
五百旗頭幸男 2026.04.27
読者限定

4月5日から文筆家の蓮実里菜さんがnoteで始めた『BlackBoxDiariesとは何だったのか』という連載記事が衝撃的だ。去年、日本のドキュメンタリー映画として史上初めて米アカデミー賞にノミネートされた伊藤詩織監督の『BlackBoxDiaries』について、検証報道をおこなったものだ。いったい何が衝撃的だったのかを解説する前に、この映画を観ていない人もいると思うので、公式サイトのイントロダクションを引用する。

時代遅れの日本を浮き彫りにした衝撃作

映画『Black Box Diaries』は、ジャーナリストであり監督でもある伊藤詩織が、自身の身に起こった事件を勇敢に捜査し、事件の真相を訴追しようと奮闘する姿を追う。真実の撮影と記録、そして感情豊かな一人称視点の映像が織りなすこの物語は、日本の司法制度と社会制度の深刻な問題を浮き彫りにする、衝撃的な作品となった。

映画『Black Box Diaries』公式サイト

ここに記された「自身の身に起こった事件」とは、2015年に伊藤監督がTBSワシントン支局長(当時)だった山口敬之氏からホテルで意識のない状態で性的暴行を受けたとして、準強姦容疑で警視庁に被害届を提出し、東京地検が嫌疑不十分で不起訴としたものだ。その後、伊藤監督が起こした民事訴訟では、最高裁で山口氏による「同意のない性行為」が認定され、山口氏に約330万円の損害賠償を命じる判決が確定している。

映画は、刑事事件として不起訴になったことに納得がいかなかった伊藤監督が民事裁判で勝訴するまでの闘いと、その過程で彼女の前に立ちはだかった“時代遅れの司法制度”や“性被害に無理解な社会”の問題を浮き彫りにする「衝撃的な作品」となっていた。それに対して蓮実さんは、伊藤監督が起こした民事裁判の資料という公のファクトを紐解くことによって、「衝撃的な作品」に仕立てるために伊藤監督が用いたであろうストーリーテリングに潜む問題を浮き彫りにしたのだ。この映画を観た多くの人が信じたであろう物語。「加害者が殺害された元総理と最も親しいジャーナリストだったから、国家権力によって逮捕が見送られたのではないか」という物語。その物語をひっくり返してしまうような事実が克明に提示されたので、衝撃を受けたのだ。

遅れた国内公開と2つの波

『Black Box Diaries』は海外で先行公開され評価が高まった一方、日本では公開日自体が長く決まらず、2024年1月の初上映から2025年12月の国内公開までに2年近くかかった。国内上映が遅れたのは、ホテルの防犯カメラ、タクシー運転手、警視庁捜査員、元代理人弁護士らの映像や音声について、十分な許諾を得ずに使用したのではないかと指摘され、配給と劇場に法的・倫理的リスクを見極める必要が生じたからだ。伊藤監督は公益性を重視した判断だったと説明したが、SNSやインターネットでは作品の社会的意義を評価する“擁護派”と、取材倫理やプライバシー保護の軽視だとする“批判派”が激しく対立し、人格攻撃や誹謗中傷が広がる状況となった。

擁護派と批判派による対立が激化した時期を調べると、これまでに2回の大きな波があった。第一波は、米アカデミー賞ノミネートが発表された2025年1月下旬に始まった。伊藤監督の元代理人弁護士らが記者会見を開き、ホテルの防犯カメラ映像などの無許可使用を批判した2月下旬からアカデミー賞授賞式があった3月上旬をピークに、4月下旬まで続いた。第二波は、国内公開が発表された2025年11月上旬に始まり、都内の1館だけでスタートした上映が「連日満席」と報じられた12月中旬をピークに、世の中の関心が衆議院議員選挙とミラノ・コルティナ五輪に向かい始めた今年1月下旬まで続いた。

正直に告白すると、第一波の最中にいくつかのメディアから『Black Box Diaries』についての意見を聞きたいと取材や出演の依頼があった。だが、すべて断った。ドキュメンタリー監督として、何らかの考えを表明すべきか否か、すごく迷った。SNSでは沈黙するドキュメンタリー監督たちへの批判があることも知っていた。名だたる先輩監督たちがSNSや雑誌などで考えを述べていた。擁護する人、批判する人、擁護と批判が相半ばする人など様々だった。理路整然と考えを述べる人もいれば、感情が先走ってしまう人、異なる意見を見下すような人もいた。憎悪が増して冷静さが失われた言論空間では、可燃性が極めて高い専門家(監督)たちの意見は炎上を広げる格好の燃料となっていった。そこに私の意見を投下したところで、炎上は拡大こそすれ理性的な議論が展開される見込みがないのは火を見るより明らかだった。

また、第一波の2025年1月下旬から4月下旬は、自作『能登デモクラシー』の全国公開を控えたプロモーションの時期と重なっていた。自作以外の映画についてのコメントが炎上した場合、公開前の自作に対する偏見が醸成される可能性があり、そうした事態を避けるべきとの判断から『Black Box Diaries』についてはコメントをしないと決めていた。

それにしても、SNS上での沈黙者に対する圧力や批判には強い違和感を覚えた。発信したらしたで叩かれ、沈黙しても叩かれる。そんな荒野と化したSNSだからあえて距離を置きたくなる時もあるし、抱える仕事で忙しい時もある。体調やメンタルコンディションが優れない時だってあるだろう。沈黙するにしても、そうした理由をわざわざ発信したうえで沈黙しなければならないのだろうか。当たり前の話だが、発信したいけど発信を思いとどまってしまう人もいるだろうし、そもそも沈黙する自由だってある。当人が発信したい時に発信すればいいだけの話であって、そんなことをなぜ他人に指図されなければならないのか。どれだけ息苦しい社会になれば気が済むのだろう。

掲載を阻む「センシティブな空気」

第二波が始まった2025年11月下旬、蓮実さんが『BlackBoxDiariesとは何だったのか』の原稿掲載をある媒体の編集者に持ちかけたところ、「ぜひうちで掲載させてほしい」と快諾されたという。ところがその後、デスク陣の反対によって話は流れてしまう。当時の異常な空気を蓮実さんはこう記している。

最初に相談した媒体の編集者は、「映画の公開が始まって1週間くらいしてこれを出したら、爆発すると思う。100万PV行くくらいの記事。でもこれ、全部出したら、殺害予告が来るかもしれないですよ」と言った。は?冗談でしょ?と少し笑った私に、その人は真顔で、「本当ですよ。この話はそれくらいセンシティブなものだし、これはそれくらいの原稿」と言った。 

蓮実里菜note『BlackBoxDiariesとは何だったのか』 #0【連載のまえがき】

世の中にあまたある映画の一つなのに、感想を言うことすら憚られる空気が『Black Box Diaries』にはまとわりついていた。掲載してくれる媒体が見つからなくても「最悪noteで出せばいい」と考えていた蓮実さんだったが、12月から1月にかけて連日戦争みたいな光景が広がるSNSを眺めるうちに、noteに掲載する決心すらつかなくなったという。最もその原稿が読まれるであろう時期が過ぎ、衆院選と冬季五輪の喧騒にかき消される形での「静かなる収束」を見届けたことで、ようやくnoteへの掲載を決断できたのだった。

1万ページの裁判資料に埋もれた驚きの事実

蓮実さんのnote連載記事『BlackBoxDiariesとは何だったのか』は、私を含む記者クラブメディアへの強烈なカウンターパンチでもある。蓮実さんは伊藤詩織事件のことを理解するために報道記録や伊藤監督の著書を読み込んだが、事実関係の骨格を掴むことができなかったという。そこで頼ったのが、伊藤監督が勝訴した民事裁判の1万ページにも及ぶ資料だった。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、5002文字あります。

すでに登録された方はこちら

読者限定
若者は絶望などしていなかった
読者限定
取材制限が映し出す議会の本性
読者限定
メディアスクラムが通り過ぎたあとで
読者限定
『イン・ザ・メガチャーチ』が怖い理由
読者限定
「知事多選県」石川で何が起きたのか
読者限定
フォロワーを3万人に増やしても虚しい理由――「投稿マシーン」になって