若者は絶望などしていなかった

友達との雑談の中で少しでも政治や社会問題に触れようものなら、「思想強めやな」と冷やかされて会話が終わってしまう。以前講義をした都内の大学で、そう自嘲気味に話す学生がいた。今の学生なんてそんなものだろう。若い世代の政治や民主主義との向き合い方の典型だなと、妙に納得していた。でも、それは偏見でしかなかった。
五百旗頭幸男 2026.06.27
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早稲田大生の意外な本音

先月28日、早稲田大学の記念講座「ジャーナリズムの現在」で教壇に立った。私が監督を務めた映画『能登デモクラシー』(2025年公開)が、昨年「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」を受賞したことで得られた機会だった。講義のあと、提出された学生たちの感想を一つひとつ読み返しているとパソコンの前を離れられなくなった。そこには単なる授業の感想ではなく、民主主義や地方政治、メディアのあり方について真剣に考えようとする言葉が並んでいた。寄せられたコメントは約70件。今の若者が抱えるメディア不信や政治との距離感だけでなく、そうしたメディアや政治、社会を理解したいとの意志がにじんでいた。これまで全国各地で講演や舞台挨拶をおこなってきたが、今回ほど若い世代のいきいきとした思考や深い葛藤に触れたことはなかった。感想の多くが、私の作品の出来不出来や講義内容の整理ではなく、「自分自身がどのように社会と関わっていくのか」という問いへと向かっていたのだ。

早稲田大学での講義 2026年5月28日

早稲田大学での講義 2026年5月28日

政治は「遠いどこかの話」ではない

今回の講義では、私の監督作である映画『はりぼて』(2020年公開)と映画『能登デモクラシー』を題材にして、地方における政治や民主主義の実態、「オールドメディア」の現在地、地方からドキュメンタリーを国内外へ発信することの意義などについて話をした。講義後の感想を分析すると、学生たちの反応は単なる作品理解にとどまらず、「民主主義を自分自身の問題として考え始めている」という点に大きな特徴があった。

特に印象的だったのは、大半の学生が「政治」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは「国政」だったが、講義を通じて、地方議会と首長と地域住民の関係性こそが自分たちの日常生活に直結する「足元の政治」であると認識を改めていた点だ。地方政治は全国ニュースで大きく取り上げられることが少ない。しかし、道路、学校、医療、福祉、防災、人口減少など、人々の暮らしに直接関わる重要な問題は、むしろ地方政治の中に集中している。学生たちは、地方議会の問題や地域住民の無関心を自分とは切り離された世界の出来事としてではなく、「自分たちの地域でも起こり得ること」「既に起こっていること」として捉え直していた。地方政治を「身近な民主主義」として理解する視点を持ってくれたように思う。

地方が映し出す「日本の未来」

映画『能登デモクラシー』で描いたのは、抽象的な制度としての民主主義ではない。議会の形骸化、無投票当選、住民の政治的無関心、行政と議会のなあなあの関係、そして、震災とドキュメンタリー番組の放送によって生じた地域の変化。そうした現実の中で、民主主義が支えられたり崩れたりする生々しい姿だ。学生たちはそれを「地方の特殊事例」ではなく「日本社会全体の縮図」として受け止めていた。

「自分たちは政治を他人事として見ていたのではないか」

「私たち若者の政治と民主主義に対する目が、
 いかに大きなところにしか向いていないかを実感した」

「民主主義は制度があるだけでは成り立たず、
 市民やメディアが関心を持ち続けることで支えられている」

「民主主義は選挙の日だけ機能するものではなく、
 日常的な関心や対話の積み重ねによって成立している」

早稲田大学記念講座「ジャーナリズムの現在」受講生の感想

これらの言葉からは、学生たちが民主主義を単なる制度論としてではなく、自分自身の行動や無関心と結びついた問題として捉え直しているのが分かる。私のもとに届いた感想のうち、実に73%にあたる49件が、民主主義と地方政治への関心の高まりを示すものだった。誰でも、政治不信を語ることは簡単だ。しかし、自分も民主主義の担い手であるという感覚を持つことは意外と難しい。その難しさと向き合い始めた学生が少なくなかった。長年、地方の現場で取材を続けているが、「民主主義は完成された制度ではなく、住民の関心によって支えられる」という感覚を、若い世代がここまで真剣に受け入れたことに希望を感じずにはいられない。

人口減少、高齢化、地域コミュニティの弱体化、議会の空洞化、無投票当選の増加。地方の過疎地で起きている問題は、決して地方だけの問題ではない。むしろ、日本社会全体がこれから向き合う課題が先行して現れているとも言える。学生の感想にも「過疎地の問題は日本の縮図だと思った」「地方政治の空洞化は、いずれ全国で起こりうる」といった認識が目立った。地方を「周縁」として扱うのではなく、「日本社会の未来を映し出す場所」として位置付ける姿勢がうかがえる。

「オールドメディア」批判の先に見る希望

ここ数年、テレビや新聞、雑誌などは「オールドメディア」と批判されることが増えた。学生の感想でも、「オールドメディア」への違和感や不信感についての記述が目立った。

「権力と近すぎる」
「情報が偏っている」
「批判ばかりしている」
「視聴者に媚びている」
「視聴者の感情を煽っている」

早稲田大学記念講座「ジャーナリズムの現在」受講生の感想

こうした感覚は、若い世代の中で広く共有されている。SNSや動画メディアが日常生活に入り込み、テレビや新聞を情報源にしている若者は少数派だ。「オールドメディア」に対しては距離を置いているが、かといって単純な「オールドメディア叩き」に走っているわけでもない。講義の感想のうち42%にあたる28件は、オールドメディアを批判しつつメディア側に自己点検を求める意見だった。学生たちは「どうすれば信頼されるメディアになるのか」を真剣に考えてもいた。この点はとても重要で興味深い。若者のあいだで、既存メディアへの不信は広がっているが、同時に彼らは、信頼できる情報を必要とする感覚も強く持ち合わせていた。

映画『はりぼて』では、取材対象である議員や市長の姿勢に疑問を呈する場面だけでなく、自分たち取材する側の迷いや弱さ、不都合な場面までを隠さずに描いた。議員報酬の10万円引き上げを画策したベテラン議員に同僚の記者が言いくるめられてしまうシーンや、私が同僚たちの前で会社の方針を批判して退職を告げるシーンなどに、多くの学生が共感を示した。

「メディアが自らの弱さや限界を認める姿勢に新鮮さを感じた」

「信頼されるメディアとは、権力を批判するだけではなく、
 自らも批判と検証の対象に置く存在だと思った」

「メディア自身も撮影対象にして、無意識に隠しがちな恥ずかしい部分をも
 カメラに収める姿勢からは、真に信頼されるメディアとなるための覚悟を感じた」

「印象に残ったのは、自分たちもまた『はりぼて』ではないかという自己言及的な視点。
 『なぜ描いた?』と問われる中で、都合の悪い真実から目を背けない姿勢こそが
 真に信頼されるメディアの条件であると感じた」

早稲田大学記念講座「ジャーナリズムの現在」レビューシート

学生たちは、けっしてメディアに完璧さを求めているわけではない。むしろ、自らの限界を理解し、それでもなお誠実であろうとするかを見極めようとしている。メディアは「第四の権力」と呼ばれる。その力に無自覚になった瞬間、メディア自身が不信の対象となる。学生たちはその危うさに敏感だ。

善悪二元論を超えて 

映画『はりぼて』の中で次に学生たちの食いつきがよかったのが、善悪二元論に落とし込まない表現手法についてだった。この作品では、議員たちの不正を暴きながらも、彼らを単純な悪役としては描いていない。むしろ、被写体からにじみ出る人間臭さ、滑稽さ、弱さ、迷いといった側面を積極的に映している。観客からすると、不正をした悪い人であるはずなのに「どこか愛らしくて憎めない」という奇妙な感覚に陥ってしまう。

これは非常に危険な表現でもある。いくら不正をした人であっても、その人が漂わせる人間らしさを描けば、視聴者は共感してしまう。すると「なぜ悪いことをした人を使って笑わせようとするのか」「なぜ不正をした人に感情移入させようとするのか」といった批判が起こりかねない。しかし、現実社会に完全な善人や悪人など、ほとんど存在しないだろう。人は皆、何かしら矛盾や弱さを抱えているものだ。そのグラデーションを、学生たちが強く感じ取っていたことは感想を読むとよくわかる。

「善悪だけで判断できない社会の複雑さを感じた」

「取材者が善で、不正議員たちが悪という単純な構図ではなかった」

「悪い面だけでなく良い面も描くためにコメディ調にしたのは面白いと感じた」

「人間臭さや人間の完璧でない部分に着目していたのが印象的で、よりリアルに感じた」

「人間臭さの捉え方に大きな衝撃を受けた。
 取材対象を単なる『悪者』ではなく『完璧ではない人間』として描くことで
 観る人の共感を呼ぶ手法は非常に新鮮だった」

「地方メディアが描くドキュメンタリーの意義に強く感銘を受けた。
 特に印象的だったのは、不正を単純な勧善懲悪や善悪二元論で描くのではなく、
 当事者の人間臭さや滑稽さをあえて見せることで視聴者の共感を呼ぶという視点だ」

早稲田大学記念講座「ジャーナリズムの現在」受講生の感想

批判だけでは、社会は変わらない 

講義の中で、私は「記者は権力者の首を取ってなんぼ、という考え方にずっと違和感を持ってきた」と話した。「批判だけがジャーナリズムではない」という気づきがあったのか、多くの学生がその発言に「驚いた」との感想を寄せた。

ジャーナリズムにおいて、取材対象を批判することは比較的簡単だ。しかし、取材対象に生じた「良い変化」を評価したうえで伝えることは意外と難しい。そこには「取材相手に取り込まれたのではないか」という疑念が常につきまとう。それでも、変わった部分は変わったと伝える。良くなった部分は評価する。その姿勢がなければ、ジャーナリズムは単なる断罪装置になってしまう。そこにある葛藤を、学生たちは真剣に受け止めていた。

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